世界三大英雄

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世界三大英雄

世界三大英雄という場合、後世への影響力で考えると、カエサル、ナポレオン、チンギス・ハンとなるかもしれませんが、大帝国を築いた征服者と考えると、カエサルよりもアレクサンダーのほうがふさわしいですね。

この4人を世界四大英雄としてもいいですが。

カエサル(シーザー)

ガリア戦記

ガリア戦記

ガイウス・ユリウス・カエサル(前100年頃7月13日〜前44年3月15日)は、古代ローマの政治家、軍人です。

文筆家としても有名で、「ガリア戦記」などは評価が高いです。

かなりの女たらしだったそうですが、子宝にはほとんど恵まれなかったようです。

「来た、見た、勝った」「賽は投げられた」「ブルータス、お前もか」などの言葉が有名。

トランプのダイヤのキングのモデルといわれています。

英語で7月をあらわす「July」の語源となっています。

参照:「帝王切開」という言葉は翻訳ミス トランプの話 2月が短いわけ

ナポレオン

ナポレオン帝国

ナポレオン帝国

ナポレオン・ボナパルト(1769年8月15日〜1821年5月5日)は、革命期のフランスの軍人です。

皇帝にまでなり(ナポレオン1世)、全ヨーロッパを侵略しました。

コルシカ島生まれで、幼いころは現地の言葉で「ナブリオーネ・ブュオナパルテ」と名乗っていましたが、フランスにわたり出世するに従い、フランス語風に改名しました。

パリの陸軍士官学校時代、クラスで雪合戦をした際、彼の見事な指揮と陣地構築で快勝したそうです。

パリの凱旋門は、彼の戦いの勝利を祝して建築されました。

スペインに介入した際、民衆の抵抗にあいましたが、このときに「ゲリラ」という言葉が生まれました。

ナポレオン失脚後の「ウィーン会議」の様子は、「会議は踊る、されど進まず」といわれました。

フランスでは、現在もナポレオン法典が現行法です。

ヨーロッパで右側通行が普及したのは、ナポレオンが征服したためといわれています。

イギリスが左側通行なのは、ナポレオンに征服されなかったためです。

「余の辞書に不可能の文字はない」の言葉は、元は「不可能という言葉はフランス的ではない」だったらしいです。

ブレザーの袖のボタンは、ロシヤ遠征の際に兵士たちが袖で鼻水を拭えないようにつけられたものです。

「歴史上の人物でもっとも多く映画に登場している」とギネス認定されています。

チンギス・ハン

チンギス・ハンの墓はどこだ?

チンギス・ハンの墓はどこだ?

チンギス・ハン(1162年頃〜1227年8月18日、成吉思汗、チンギス・カン、ジンギスカンとも)は、モンゴル帝国の初代皇帝(大ハーン)です。

元の太祖で、幼名は「テムジン」といいます。

モンゴル帝国の最盛期には、世界のおよそ半分を支配下においたといわれています。

オクスフォード大学の遺伝学研究チームによると、DNA解析の結果、チンギス・カンが世界中でもっとも子孫を多く残した人物であるそうです。

男系の子孫は1600万人にものぼるそうです。

アレクサンダー

アレクサンダー大王

アレクサンダー大王

アレクサンドロス3世(前356年7月〜前323年6月10日)は、マケドニアの国王です。

英語読みでアレクサンダー大王ともいわれます。

アリストテレスは彼の家庭教師でした。

エジプトを征服し、ファラオを兼任しました。

征服した各地に新しい都市を作り「アレクサンドリア」と名づけました。

アラビア語やペルシャ語では「イスカンダル」と呼ばれます。

死因はマラリアという説があります。

フランスでは、トランプのクラブのキングのモデルとされています。

(09/06/27)

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このページの更新状況

(09/06/26)掲載
(11/07/29)更新

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