世界三大美女

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世界三大美女

ヘレネは、多くの男性から求婚されていますし、トロイ戦争の原因ともなっていますので、神話上の人物とはいえ、本当に美しかったということに異論は少ないと思います。

楊貴妃の場合は、唐の皇帝である玄宗に寵愛されたことでここに名を連ねることになっていますが、実際には太っていたという説もあり(すくなくともスレンダーではなくグラマーだったらしい)、好みによって意見は分かれるかもしれません。

しかし、元は身分の低いものだったところを皇帝から寵愛を受けたわけですから、まったくの不美人ではなかったのではないでしょうか。

クレオパトラについては、歴史家プルタルコスによると「彼女の美貌そのものはけっして比類なきものではなく、見る人をはっとさせるものでもないと言われていた」とされています。

また、哲学者パスカルによると「クレオパトラの鼻がもう少し短かったら歴史が変わっていた」とされていますが、しかし、これは少々説明が必要で、歴史とは、ほんの些細なことで後世の情勢がまったくかわった結果になってしまうはかないものである、という例えとしてクレオパトラを持ち出したわけで、彼女の美貌を保証するものではありません。

なので、世界三大美女といわれるほどの美しさかどうかはなんともいえません。

また、小野小町については、日本では美しかったといい伝えられていますが、世界では知られていませんし、日本史を代表する美人とまで言えるかどうか…。

クレオパトラ

クレオパトラ

クレオパトラ

クレオパトラ7世フィロパトル(前70年12月〜前30年8月12日)は、古代エジプト、プトレマイオス朝の最後の女王です。

父王の死後、弟のプトレマイオス13世と結婚し国を治めましたが、カエサルの愛人となって弟を敗死させ、さらに弟のプトレマイオス14世と結婚しました。

このプトレマイオス14世もカエサル死後に原因不明で亡くなりますが、クレオパトラによる毒殺説もあります。

クレオパトラは、はじめローマの小ポンペイウスの愛人となり、次にカエサルの愛人となり、後にアントニウスの愛人となりました。

しかし、オクタヴィアヌスにはなびかずに自殺しました。

彼女を含めプトレマイオス朝の王家はギリシャ系なので、彼女はエジプト人のようなおかっぱ頭ではなくギリシャ風の巻き毛だったと思われます。

楊貴妃

めだか楊貴妃 1匹

めだか楊貴妃 1匹

楊貴妃(719年〜756年7月15日)は、唐の皇帝、玄宗の寵姫です。

「貴妃」というのは皇妃の称号で、皇后より一段低い位です。

本名は、「楊玉環」といいます。

玄宗があまりに寵愛したため安史の乱が起こることになり、そのため「傾国の美女」といわれています。

古代シナ四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人。

元は玄宗の息子である李瑁の妃でしたが、玄宗に見初められて玄宗の後宮に入りました。

二人の悲恋を題材とした漢詩が白居易の「長恨歌」であり、この中に「比翼連理」の故事がでてきます。

レイシ(ライチ)を好み、遠くから取り寄せていました。

カクテル「楊貴妃」はライチリキュールがベース。

メダカに「楊貴妃メダカ」という赤い色の種類がいます。

ヘレネ

トロイ

トロイ

ヘレネ(ヘレネー)は、ギリシャ神話に登場する女性です。

スパルタの王妃でしたが、トロイアの王子と駆け落ちしたため、ギリシャとトロイアの間で戦争になりました。

このときに、彼女の夫が有名な「トロイの木馬」に潜んで、トロイアに勝利しました。

小野小町(日本ではヘレネの代わりに小野小町が入る)

小野小町

小野小町

小野小町(825年頃〜900年頃)は、9世紀の女流歌人です。

六歌仙、三十六歌仙の一人。

自身の美しさの衰えを嘆いた「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に(古今集、百人一首)」の歌が有名です。

秋田県湯沢市小野の出身という説があり、米の品種「あきたこまち」は彼女にちなんでいます。

言い寄る多くの男になびかないため、「穴(女性器のこと)のない女」と噂されました。

待ち針の語源として、穴がないので「小町針」と呼んだともいわれています。

(09/06/26)

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このページの更新状況

(09/06/26)掲載
(11/07/29)更新

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