理容師のルーツは医者だったという俗説について考察しています。

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日本の「床屋」

現在の日本では、理容師(散髪屋さん)は、理容師国家試験に合格することで得られる国家資格です。
理容師免許が無ければ散髪屋さんにはなれません。

その理容師のルーツですが、わが国では古くは江戸時代のころ、「髪結い」、「髪床」などとよばれる職業がありました。

かれらは、客が男性なら月代(さかやき)や髭(ひげ)を剃って髷(まげ)を結い、客が女性なら襟足を整えて髪を結うことを仕事にしていました。

つまり、日本の「床屋」のルーツには医者とのかかわりは感じられません。

西洋の「理髪師」

ではヨーロッパのほうではどうだったのでしょう。

中世ヨーロッパでは、病気の治療法として大別して2通りありました。

内科的に薬を処方して病気を治す方法、外科的に悪い血を抜いて患部を治す方法。
この2つの方法を病気によったり患部の場所によったりして使い分けたりしていました。

前者のやり方から発展したのが内科医です。

後者のやり方を仕事とするひとは、血を抜いたり(瀉血)患部を切って膿をだしたりと(その技術や思想の一端は、現在の外科手術などに受け継がれています)、刃物をつかっていましたので、いつしか患者の髭を剃ったり髪を切ったりするようになりました。

そして患部の悪い血を抜くという治療法に根拠がないことを人々が気づいたころ、髪を切ったり髭を剃ったりすることが本業となっていました。

ここで治療のために血を抜くという当時の信仰に根ざした医学の流れから、髪を切り髭を剃る「理髪」という概念が切り離されて、理容業が生まれました。

勘違いしてはいけないのは、当時でも「医者」といえば内科医で、外科的な治療をする「血抜き屋(瀉血師)」は医者とは別の存在だったようです。

サインポールの由来

散髪屋の店先でくるくるまわってるらせん状の看板。あれを「サインポール」といいます。

三色模様ですが、よくいわれるのが、「白は包帯、赤は動脈、青は静脈」というものですが、真相は違うようです。

「血抜き屋(瀉血師)」が洗った包帯を、細長い棒(治療時に患者がつかまっていた棒。血がつくのではじめから赤く塗っていた。)にらせん状にひっかけて干していたところ、それが「血抜き屋」の目印になりました。

赤い棒に白い包帯のらせんという原型に、ヨーロッパでよく見られるトリコロールの要素(意味はいろいろあって定説にいたってない)が加わって、現在の形につながったと思われます。

(06/10/01)

追加 こういう説もあります。

赤い棒に白いらせんが瀉血師の看板となり、後に外科医もそれを使っていたようです。
理容師は、外科医との区別のために青いらせんを足して、3色にしました。

外科医の看板のほうは、ほどなくしてすたれたようですが、理容師の看板はそのまま使われ続けました。

(06/12/01加筆)

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この記事の更新状況

(06/10/01)掲載
(06/12/01)加筆

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